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名選手集

スティーヴン・ジェラード

スティーヴン・ジョージ・ジェラード MBE(Steven George Gerrard MBE、1980年5月30日 - )は、イングランド、マージーサイド州・ウィストン出身のサッカー選手。
プレミアリーグ・リヴァプールFC所属。ポジションはMF。セカンドトップからトップ下、サイドハーフ、サイドバックまで幅広くこなせるが、中盤の中央に位置するセンターハーフでのプレーを最も得意としている。

基本情報

国籍 イングランド
主な所属チーム リバプール
ポジション MF
愛称 スティーヴィーG
ZAKUさん評価 S

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■スーパープレー集


■鬼ゴール


■鬼ゴールその2


■鬼ゴールその3

プロフィール

子供の頃からリヴァプールFCのアカデミー(下部組織)でその才能を磨き、1998年に右サイドバックとしてトップチームデビューを飾る。デビュー当初は荒っぽい守備が目立ち、たびたびカードをもらっていたが、そのダイナミックな攻撃参加はリヴァプールの未来を感じさせた。その後、当時のリヴァプールFCキャプテン、ジェイミー・レドナップが怪我がちだったこともあり、ポジションを中盤にコンバートされ、1999−2000シーズンにはレギュラーに定着する。2000年5月のウクライナ戦では19歳にしてイングランド代表に初招集。直後のUEFAユーロ2000においても代表メンバーに選ばれ、第2戦のドイツ戦で29分間出場している。翌2000−2001シーズンではリヴァプールの主軸として活躍。カップ・トレブルを達成したUEFAカップ決勝では、オーウェンからのアシストを受けて見事なゴールを記録している。

2001年9月1日日韓ワールドカップ予選、ミュンヘンでのアウェーのドイツ戦ではオリバー・カーンを始めとする堅守を、得意のミドルシュートで破り逆転ゴールを挙げ、5−1の記録的大勝に貢献した。

順風満帆に見えたキャリアであったが、2002年日韓ワールドカップ本大会には怪我で出場できず、2002−2003シーズンのプレミアリーグ最終戦のチェルシー戦では、勝った方が4位でUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得という状況の試合であったにもかかわらず、試合中に不用意なレッドカードを貰ってしまい、出場権を逃してしまう。しかし、翌2003−2004シーズン途中にサミ・ヒーピアからキャプテンマークを受け継ぐと、秘めたるポテンシャルが一気に開花した。同シーズン、チームはUEFAチャンピオンズリーグ出場権を争う位置にいたが、シーズン終盤のジェラードの大活躍によって最終節を待たずして4位を決め、前年の汚名を返上。シーズン後にチームの大エース・オーウェンが移籍した時、一時はジェラードにもチェルシー移籍の話が持ち上がった。記者会見でイスタンブールでのサポーターを例に挙げ「私はこのクラブとサポーターを愛している。」と残留を明言。この言葉はオーウェンを失ったサポーターを大いに勇気づけた。名実ともにチームの顔となる。

翌年は、リーグ戦で低迷するチームを鼓舞しながら、UEFAチャンピオンズリーグにおいては、GL突破のためには2点差以上の勝利が義務付けられた最終戦のオリンピアコスで、試合終了間際にドライブミドルシュートを決め3−1とし、チームを決勝トーナメントへ導く。決勝トーナメントでは得点こそなかったものの、存在感を示しチームは決勝戦へと進出。決勝のACミラン戦では3-0のビハインドを覆す逆転優勝(UEFAチャンピオンズリーグ 2004-05 決勝を参照)を決めるきっかけとなるヘディングシュートを決めてみせた。ゴール直後のチームメイトとサポーターへむけた『盛り上がれ!』というパフォーマンスは有名である。また、シーズン終了時に再びチェルシーへの移籍が報道された。代理人が「交渉は修羅場になった」と発言するほど契約延長交渉は乱れたようだが、これはジェラード本人とリヴァプールのクラブ側との、ほんの些細な思い違いから始まったものであった。正式な会談を持った結果、ジェラードはあっさりとチームへの残留を決めた。

2005年、12月にはFIFAクラブワールドカップでヨーロッパ代表として来日。リヴァプールは準優勝に終わったが、テレビの宣伝などで日本での知名度は一気に上がった。

イングランド代表でも不可欠な選手とされており、2006年のドイツ・ワールドカップで2得点をあげる活躍をしたことから、本人も望むイングランド代表の次期キャプテンはジェラードで決まりだと噂されていたが、デビッド・ベッカムからキャプテンマークを引き継いだのはライバルチームのチェルシーFCのキャプテン、ジョン・テリーだった。

2000年代のリヴァプールの象徴であり魂でもある選手で、100年を超すリヴァプールの歴史を通しても、サポーターからはケニー・ダルグリッシュと並ぶ最高殊勲選手と目されている。その証として、2001年UEFAカップ、2003年FLカップ、2005年UEFAチャンピオンズリーグ、2006年FAカップと、タイトルを獲得したあらゆるカップファイナルで優勝に導くゴールを挙げている。

プレースタイル

フットボーラーとして必要なボールテクニック、フィジカル、視野の広さ、ポジショニングと全ての能力を高いレベルで併せ持つ、リヴァプールアカデミー創設以来の最高傑作と言われている。
また非常に高いキャプテンシーを兼ね備えており、チームの大黒柱である。 正確にして高速なミドルパスで味方の足元へ点で合わせることができる。
さらに無回転、トップスピン、スライススピンを使い分けられる変幻自在のミドルシュートを得意とする。大舞台や大一番で大仕事をやってのける勝負強さも彼の魅力のひとつである。
強靭なフィジカルと瞬時の判断力でピッチを見通しどんな体勢でも勝負を決めるフィニッシュを放つ。

シュートは威力・精度共に本当に神!現在世界一の右足だろう!

逸話

2002年W杯で、中盤の選手が足りなかった代表監督のスヴェン・ゴラン・エリクソンが「ジェラードが2人いたなら…」と言った。実際は怪我のため本人も出られず、エリクソンは更に苦悩したと言う。

リヴァプールのチームメイトであるジェイミー・キャラガー、現在ニューカッスル・ユナイテッドFCに在籍中のマイケル・オーウェンとは、リヴァプールのアカデミー時代からの親友であり、そのコンビプレーは阿吽の呼吸をみせる。幼少の頃から、リヴァプールの熱心なサポーターであることもあり、リヴァプールファンからの人気は絶大なものがある。

極度の潔癖症で一日に最低15回は手を洗う。

2006年10月、髄膜炎をわずらった二女に対し、マンチェスター・ユナイテッドとのノースウエストダービー前夜にもかかわらず寝ずの看病をしていた。

2007年10月1日、ジェラードの運転する車に、歩道から飛び出してきた10歳の少年が接触した。小学校の前だったため減速していたが、この事故で少年に左足骨折の大怪我を負わせてしまった。しかし、その後すぐに運転席から飛び出し、駆け寄ったジェラードは、少年の手を握り締め、救急車が到着するまで付き添うと、警察に事情聴取を受けた後に少年の家族と連絡を取り、2日後に病院にお見舞いにいくと約束した。さらに、その少年がマンチェスター・ユナイテッドの大ファンであることを知ると、同クラブのエース、ウェイン・ルーニーに頼みサイン入りのスパイクを用意し、自分のサインを書き込んだイングランド代表のユニフォームと一緒にプレゼントした。

Wikipediaより一部抜粋


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